2016年 10月 14日
ディランさん |
午後8時20分、電話が鳴る。
電話のベルがどこかせわしなく聞こえた。
NHKからの電話だった。
「そちらにボブ・ディランさんのレコードはありますか?」
息を切らしながらNHKの記者はそう言う。
20分ほど前に速報でも流れた
ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞を受けて
レコードジャケットの撮影をしたいという申し出だった。
断る理由も特になかったので了承すると
10分も経たないうちに撮影クルーがやって来た。
「じゃあ入り口入るとこから撮って!うん、そこから!!」
外から声が聞こえる。
店に入ってくるなりカメラは僕に向いていた。
「あれ?インタビュー、ですか?」
「はい!せっかくなので!!」
よほど時間がないのだろう。
名刺を握りしめたまま撮影の段取りをしている。
「で、ボブ・ディランさんのレコードはどこに?」
ボブ・ディランさん。
頭の中で僕もディランに"さん"を付けてみた。
なんだか滑稽な感じがする。
ボブ・ディランはディランであり、ボブである。
あるいはジマーマン。
余計なことを考えている場合ではない。
ディランさんのコーナーへ案内すると記者は言う。
「そこでレコードを出す仕草をしてください!そう!それ!!」
僕はぎこちない動きだが、それに従う。
撮影を進めながら
記者、カメラマンは矢継ぎ早に質問を繰り出す。
・ディランさんのノーベル受賞、いかがですか?
(質問の意図がよくわからない)
・お店では人気ありますか?
(ノーベル賞受賞したんだから、ねぇ)
・レコードを買う人はどんな世代ですか?
(ディランのことじゃなくなった)
( )内はもちろん僕の心の声であって
一問一答にはそれとなく、無難な返答をした。
ただ、次の質問に僕の目の色が変わった。
・オススメ曲は何ですか?
「ロジャー・ティリソンもカバーしたDown In The Floodです」
僕は即座にそう答えた。
いや、正確に言うなら、そう答えてしまった。
僕と記者たちのあいだに沈黙が流れる。
例えば「風に吹かれて」「天国への扉」など
いわゆる代表曲を待っていたかと思うと少し申し訳なかったが
しょうがない、思わず出ちゃったんだから。
その後しばらく撮影が続き、なんとなく終わった。
「放送は今日ですか?」
「はい、このあと8時45分のニュースに間に合えば!」
前半の質問は流さなくていいから
オススメ曲の部分を使ってくれたらすごく嬉しい。
そう思っているあいだに記者たちは慌ただしく店を出て行った。
「今、レコード店でインタビュー撮れました!すぐに編集します!はい、ええ、え?お客さんですか?いえ、誰もいなくて。スタッフの方にインタビューをして。はい、ええ、あの…」
店の外で記者が上司に電話している声がフェードアウトしていく。
上司はディランでにぎわう店内を想定していたのだろう。
僕はこのインタビューのオクラ入りを確信した。
8時45分のニュースは見れなかったけれど
帰宅してから11時過ぎのニュースをつけてみた。
梅田の街頭で撮影したサラリーマンのインタビューが流れる。
きっと店に来る前に撮ったものだ。
次はハルキストが呆然とする場面とともに
都内の大手書店が村上春樹を大々的にディスプレイしていたが
慌ててディランさんに入れ替えている場面だった。
そのあとはスタジオでキャスターが
ディランさんについて熱く熱く語っていた。
僕の確信は確信だった。
わずか数秒でもロジャーの名前がテレビに出れば、
という淡い希望とささやかな挑戦は儚く散ってしまった。
とはいえ楽しい時間だった。
たまたまネットで検索してウチを見つけてくれた
記者のみなさんにも感謝している。
しばらく僕はディランをディランさんと呼ぼうと思っている。
by goodtimemusic
| 2016-10-14 14:13